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2009年9月14日 (月)

小文字を使う男

「ぁたしゎ」などという小文字使いは女性に限られるのかと思いきや、男も使い始めているんですね。多分、若い世代でしょうけど。

女子が使う小文字はビジュアル的カワイサが狙いだと思うのですが、男の狙いはどこにあるのでしょう? やはりカワイサでしょうか、それとも女子への迎合でしょうか。あるいは、狙いなんてものは何もなく、特に意識せず使っているとか。

私が見た男の小文字で、何とも理解出来なかったのは、「ぉれ」とか「ォレ」とかです。「カフェ・ォレ」なんかではなく、一人称の「俺」です。一人称を「私」や「僕」ではなく「俺」を選択するイメージと、「ぉれ」とか「ォレ」の小文字を使うイメージは、どうしても重ならないのですが、私の感性が古いんでしょうか?

小文字男も草食系という括りに関係しているんでしょうか?

電車待ちなどの時に両脚をクロスさせて立つ、モデル立ち(私は「クロス立ち」と呼んでいる)の男が増えているように、小文字男も増えているのかもしれません。

女装ではなく、女性ものの服を流用するようなファッションの男も増えているとか。

草食系男子、小文字男、クロス立ち男、女性ファッション男。なんか共通する気がするのは私だけではありますまい。

2009年7月 3日 (金)

ブログは話している

以前、昨今のメールやブログの文章に対して「話し言葉と書き言葉の差がなくなって来ている」という主張をしたことがありますが、その続きのような、別解釈のような話です。

ブログでもメールでも、特に若い世代に顕著なのは、「書いている」のではなく「話している」というノリです。表現手段は電子的に伝えられる文字(場合によっては絵文字や写真などの画像も)で、キーボード(あるいはテンキー)で入力するという意味では「書く」と同等の行為だが、そのノリは会話に近い、という傾向があるように感じられます。

私がこのブログに書いていることは、文字通り「書く」です。「書く」という意識があり、「話す」ではありません。時に話し言葉を使って書くことはありますが、それはあくまでも表現上の演出です。メールでも全く同様で、基本的には「書く」というスタンスからはずれることはありません。

ところが、20代以下では、ブログやメールでは「話す」ノリが主流のように見えますし、中高年層においても、そのノリが見られます。もっとも、中高年層の場合は、よく分からないまま、「それがブログやメールの流儀」とか「ネットではそういうノリが普通」などと思い込んでいる可能性もありますが。

例えば、最近流行の文節毎に(あるいは短いフレーズで)改行を入れる表現方法は、「書く」という行為として見た場合は確かに「文節毎に改行を入れる」なのですが、実際は「(文節に相当するような)一言フレーズで区切りながら話す」と見るべきなのかもしれません。

改行だらけの文章の発祥がページ数稼ぎの表現方法だとしても、それが一般に広まった背景には、「私わあ〜、昨日〜、お友達とお〜、カラオケにい〜」という話し方との共通な感性があるような気がします。

もうひとつ顕著な傾向として、助詞の省略があります。「私昨日カラオケ行ったんだけど」といった表現がブログなどでは良く見られます。それを単に、「日本語の作文能力がない」という見方をすることも出来ますし、それも一理あるとは思うのですが、「頻繁に助詞を省略しているのは、書いているのではなく話しているから」という見方はより本質に近いように思います。

最近、どなたかのブログで事故死された著名人の話題があり、そのコメントでお悔やみの言葉を述べていた人がいたのですが、その中での一人称主格が「わたしゎ」です。内容は稚拙ながらもお悔やみの体をなしているのですが、主語が「私は」でも「わたしは」でもなく「わたしゎ」なので、呆れてしまいました。これなども、「書く」意識よりも「話す」意識でいるから、とも考えられます。

メールやブログや掲示板でのコミュニケーションを、「書く」と見るか「話す」と見るか、これはかなり微妙な問題です。私は「書く」と見てしまいますが、それが正しいと言い切れるわけでもありません。実際は、「書く」でも「話す」でもない、別のことと見るのが正しいのかもしれません。

2009年5月25日 (月)

女性芸能人ブログのコメント

最近、芸能人の書いたブログをちょくちょく見ているんですが、あれはなかなかディープな世界ですね。

もちろん、各人でブログに対するスタンスやブログの内容は違いますので、一括りでああだこうだは言えないんですけどね。

私も男ですから、多少なりとも興味があるのは、女性芸能人(女優とかアイドルとか)のブログです。そういったブログには、男のファンからのコメントが山のように付いているわけですが、それらはとても正視できないような、こっぱずかしい内容のものがほとんどです。

なんと申しましょうか、「猫なで声コメント」って感じですね。顔文字とか絵文字満載で「かわいぃ〜〜です」「ぎゅうーーーーっとしたいにゃあ」とか書いてあるわけですよ。

バカ?

奴ら、そういうバカコメント書いていて楽しいんでしょうか? 楽しいとしたら、何か歪んでるわな。

そういうコメントがあふれているので、まともなコメントすら書く気にならない人もいるんじゃないかと思います。場が「猫なで声」に支配されちゃってますからね、まともな内容のコメントも汚染されそうです。

そういうコメントにさらされる女性芸能人の皆様も、お仕事とはいえ、ご苦労なことです。「気色悪いコメントするんじゃねぇ!」なんて書けませんからね。

「猫なで声コメント」する奴らは、絶対に女性にモテないのは断言出来ますね。童貞率、素人童貞率はかなり高そうです。

もっとも、この種の「猫なで声コメント」は今に始まったわけでもなく、芸能人ブログに特有の現象でもありません。

もうかれこれ10年以上になりますが、Webが世の中に広まり、個人が日記風のWebサイトを持つようになると、いわゆるネットアイドル的に人気を集める女性が現れ、その女性のサイトの掲示板とかコメント欄とかには、「猫なで声コメント」が発生しました。その女性の人気が高くなればなるほど、コメント数も増えますが、そうすると「猫なで声度」も高くなる、という傾向が見られたように思います。

ただ、当時のネットアイドルと今の芸能人ブログでは、読者数の規模が100倍とか1000倍とかのスケールで違いますから、「猫なで声コメント」の数もそのスケールで多くなっています。

毎日毎日、何千もの「猫なで声コメント」で埋め尽くされたブログというのは、相当に気持ち悪いです。慢性的に好意的だけど気持ち悪いオーラが漂っていて、そういうのは炎上とは呼びませんが、炭火みたいな感じでしょうか。

もっとも、ブログの内容が明らかに意識して「猫なで声コメント」を誘発しているサイトもありますが、そうなると、もう勝手にどうぞ、って感じで、どんなにかわいいアイドルのブログでも、興味はナッシングになってしまいますね。


2009年2月23日 (月)

トラックバックは廃れたのか?

というタイトルがすべてを語っているわけですが、トラックバックが廃れたような印象はありませんか?

「廃れた」という言葉は良くないかもしれませんね。かつてが異常でしたから、今は健全な状況なのかもしれません。

私自身は、このサイトにトラックバックは不要と考え、トラックバックは受け付けない設定にしていますから、このサイトへのトラックバックの数で「廃れた」という印象を持ったわけではありません。

色々なブログ類を読んでいて、トラックバックそのものや「トラックバック」「トラバ」「トラバ返し」といった言葉を目にする機会が減ったと感じますし、それらのブログのトラックバック一覧なんかを見ても、随分閑散としている印象があります。

そもそもが世の中一般に、トラックバックを「わけもわからず使っていた」感が強かったので、廃れるのも無理からぬところがあります。スパムトラックバックの氾濫も、トラックバック衰退に拍車をかけたのでしょう。

まあ、一般のブログユーザーにとって、トラックバックは必要性が高くはなかったのでしょうね。

毎日毎日いくつものトラックバックを発していた人達は、今はどんな気持ちなんでしょうか?

寂しい?

若気の至り?

2009年1月30日 (金)

「長文ですみません」

ブログのコメントやBBSなどで、「長文ですみません」といったことを書く人がいますが、「長文ですみません」と書かれた文章が長文であったためしがない、と思うのは私だけではないでしょう。本当に長文であるケースが皆無とまでは言いませんが、ほとんどは、「これのどこが長文やねん!」とツッコミを入れたくなるような短さです。

どの位の長さの文章を「長文」と呼ぶのかは、その文章が掲載される場によって異なるでしょうが、どう考えても、数百字程度を「長文」と認識する感性は理解出来ません。さらに、「すみません」の感覚もわかりません。

「すみません」と謝るのであれば、長文であることではなく、その文章の分かり難さを謝るのが正しい、というケースは多いですね。つまり、「長文ですみません」と書く人の文章は、長文なのではなく悪文である、という傾向があります。あるいは、長文どころか、説明不足の短文であることを謝って欲しいようなこともあります。

もしかして、そういう人が長文と認識するのは、その文章を書くために要した時間が影響しているとか? 字数では全然長文ではなくとも、作文にむちゃくちゃ時間がかかったため、心理的には長文を書いた感覚になる、なんていうことがあるのでしょうか?

まあ、いずれにしろ、「長文ですみません」というのは「通りがかりの者ですが」と同じ範疇に属する、イイワケ的かつバカっぽく無意味な決まり文句、と認定されるような状況であることは間違いないようです。

2008年12月19日 (金)

私はブロガーではない

先日、とあるニュースブログ(?)から私の書いた記事がリンクされていました。

そういえば、ブログの隆盛と「無断リンク禁止」の衰退はタイミングが同じような気がしますが、そろそろ「無断リンク禁止」も笑い話として市民権を得たと解釈してもよいのでしょうか。

いやいや、そういう話ではなく、言うまでもなく、私の書いたものをリンクして、それについて言及することに、何ら問題はありません。私に好意的であれ批判的であれ、それも関係ありません。もちろん、私はその内容に反論する権利があります。

で、そのニュースブログ(?)記事はこちらなんですが、私としては「『WebColumn』のブロガーは」というところに異議あり、ですね。

私は断じてブロガーなる代物ではございません。私は「たまたま」一般に「ブログ」と呼ばれるツールを使っているのは事実ですが、たまたま使っているツールにerをつけて呼ばれてもなあ、と。

ブログを書いている人を全体的総体的に呼ぶなら、ブロガーでもいいのかもしれませんが、特定個人をブロガー呼ばわりするのは、猛烈に違和感があります。もちろん、ブロガーを自称したい方は勝手にどうぞ。

ブロガーと呼ばれるのは、ネチズンなどと呼ばれるのと似た違和感ですね。

2008年10月22日 (水)

コメ専

誰かの説を読んだとか聞いたとかではなく、私がふと思ったことなのですが、最近、ブログとかSNSとかの界隈では、コメ専とでも呼ぶべき人々がいるのではないでしょうか。

コメ専、すなわち「コメント専門」の略です。自分でブログなりSNSの日記なりを書くわけではなく、他人のブログや日記にコメントすることを専門に、ネット活動をしている人のことを、私はコメ専と呼びます。Aというハンドルでブログを書いていても、Bというハンドルでコメント専門活動をしていたら、それもやはりコメ専でしょうね。

ここ、私のブログではコメント機能をオフにしてますから、コメ専など現れようもないのですが、あちこちで、「ん? この人はコメ専?」と思うような人は見かけます。おそらく、多くの方々がコメ専の存在に心当たりがあるのではないでしょうか。

言うまでもなく、コメ専だからといって、非難されたり差別されたりするいわれはありません。また、誹謗中傷とか荒らしとかの目的のために、活動している人のことをコメ専と呼んでいるわけではありません。

コメ専が残すコメントは、友好的で常識的であることが多いです。でも、独創的だったり個性的だったりはしません。まあ、独創や個性があったら、自分のブログで書くでしょうからね。

要するに、毒にも薬にもならないというか人畜無害というか、でも、そんなコメントを貰っても特に嬉しくはないというか、そういうのがコメ専のコメントの特徴です。もちろん、コメ専は一ヶ所だけではなく、何ヶ所にも出没して、どこでも似たようなコメントを残します。彼または彼女の、一日の平均コメント数はどのくらいなのか、ちょっと見当がつきません。

コメ専の例として、どこそこのブログでコメントしている誰それ、と指摘出来れば良いのですが、さすがにそれはしません。でも、みなさん、コメ専は具体的にイメージ出来るのではないでしょうか。

無害と言えば無害なコメ専ですし、コメント欄に閑古鳥が鳴くのは寂しいので、コメ専コメントでもありがたみもあります。でも、どこかしらで気味の悪さを感じている人が多いのではないかと思います。

コメ専がコメ専ではなくブログなどを書いていたら、その人の主張なり人となりがある程度は知れますので、気味の悪さはあまり感じないのではないかと思われます。

また、多くの人は、自分がブログやSNSの日記で主体的に書く事と、他人のブログや日記にコメントすることに、ある種のバランスを見いだしていて、その人なりのバランスを保っていると思われます。そのバランスは人それぞれでしょうが、コメ専の場合は、バランスが著しく崩れているように感じられ、それが気味の悪さに繋がっているのでしょう。

もちろん、それなりに考えがあって、「Aというハンドルでブログを書いていても、Bというハンドルでコメント」という選択をしている人もいるでしょう。そして、コメ専の気味悪さ的なリスクも承知の上、という場合もあるでしょう。そういう場合は、色々なことを承知の上でのその人の選択なのですから、別に何も申しません。

ただ、何も考えず素でコメ専をやっているような人は、自分で思っているよりも気味悪がられている、という可能性は決して低くはないんじゃないかと。

2008年8月 8日 (金)

ブログに記事をアップする

「ブログに記事をアップする」という言い方をしますか?

私はしませんが、している人は少なくないような気もします。別に、ちょっとした言い回しの揚げ足を取るつもりはないのですが、やはり「ブログに記事をアップする」というのはおかしいと思います。

ブログや「はてな」に代表されるWeb日記のような仕組みがなかった時代、個人がブログっぽいことをするには、個人個人のPCで記事を書いて(簡単なHTMLの文法に則って)、それをFTPをサポートするソフトウェアで(FTPはFile Transfer Protcol の略です。つまり、ファイル転送のための仕組みですね)、その記事をサーバに転送する、というのが、一般的な形式でした。

そして、自分のPCにある記事をサーバに転送することを指して、あくまでも俗称とか通称の類ではありますが、「アップロードする」とか「アップする」とか言ったわけです。技術的に詳しい人程、「アップ」という言い方には抵抗があるでしょうが、それは後述します。

ともかく、以前は自分のPCからサーバに記事のファイルを転送していたので、「アップする」という言い方にも一理あったわけです。また、多くの人は「記事のマスターデータは自分のPCにあり、その複製をサーバに送っている」という意識だったはずです。

ところが、ブログの仕組みでは、画像データなどの付加データを除けば、記事のデータを自分のPCからサーバに送る、ということはありません。ブログサービスの画面から書く記事は直接サーバに保存され、自分のPCには何も残りません。

従って、「ブログに記事をアップする」という言い方はおかしい、ということです。何も「アップ」などしていません。ブラウザを媒介として、直接にサーバに書き込んでいるわけですからね。

ブログの良い点として、操作が楽とか、管理が楽とか、カテゴリ分けが楽とか、色々ありますが、私としてはそれらに加えて、「自分のPCにマスターデータがある」という状態を打破した意義は極めて大きいと思います。「自分のPCには出来る限り何もない」のが正しい形だと思います。一般ユーザがバックアップに気を遣わなければならない状況は、間違っていると思います。サーバにあるデータを、自分のPCにあるデータと同等かそれ以上に便利に使えて、データの保全が充分に行われるなら、外付けディスクにバックアップ、なんて誰もしませんよね。

それはともかく、「ブログに記事をアップする」という言い方はおかしい、という話でした。

では、ブログ以前の話なら、あるいはブログで使う画像の話なら、「アップする」で良いのかというと、私は異議ありなんですよ。まあ、「アップする」というのはかなり定着している言い方ではありますけどね。

「アップする」というのは、「サーバが上、自分のPC(クライアント)が下」というイメージから発生していると思います。下から上にデータを送るから「アップ」、これがヘンです。サーバが上って誰が決めたんでしょうか? サーバというのは奉仕者ですから、どうしても上か下かに分類するなら、下ですよ。まあ、上も下もない、ってのが正しいとは思いますが、便宜上で上下が欲しいなら、サーバは下でしょう。

世の中、逆の見方が定着してしまってますけど、私は意固地なので、絶対に「アップする」というのは使いません。そういう表現が必要な時には、「転送する」などと言います。

サーバを上と見る感覚と、役人や行政組織を「お上」と見る感覚は似ていますね。公務員が公僕であるのと同様、サーバだって我々に奉仕するためにあるんですけどね。

2008年6月13日 (金)

ブログサイトのメンテナンス

先日、私が利用しているココログのメンテナンスがありました。

マーフィーの法則なんでしょうか、その日の記事を書いて「保存」というボタンを押したら、「メンテナンス中です」の表示が。その記事はココログのシステムの/dev/nullにでも消えてしまった模様です。要するに、書いた記事はどこにも残っていない、ということです。

テキストエディタとかで入力すれば良かった、というのは一理あるんですが、ユーザがそんなことに気を遣う必要がないブログサービスが求められてると思うんだけどなあ。

という脱力の中で、思ったことを箇条書きにします。

  1. 何日も前にメンテナンスのお知らせが届いたけど、直前にも再通知してくれよ。「ココログからのお知らせ」とかいう件名ではなく、「本日、9:00からメンテナンスです」というような件名で。
  2. メンテナンスするなら基本は深夜にしてくれ。深夜だけで終わらないならガマンする。
  3. 例えば、メンテナンス開始の数時間前から、ブログの入力画面に大きな赤文字で「本日、9:00からメンテナンスです」などいうメッセージを出しておいてくれ。
  4. 確定前の記事の自動保存機能を実装してくれ。

上記はどれも、私のわがままってわけじゃないと思うんですけど、いかがでしょ?

ココログ以外のブログサービスでは、このあたりどうなってるんでしょう。メンテナンスの時の不便さ度合いなんてのは、実際にそのサービスを利用してみないとなかなか分からないでしょうから、事前評価の比較検討項目にはなりにくそうです。

2008年2月15日 (金)

取り違えメール

長いことウェブで書き散らかしていると、時々ですが、とんでもないメールを受け取ることがあります。スパムとかではなく、私が書いたモノを読んでのメールです。

もちろん、女性からのデートのお誘いとか性のお悩み相談とかは、「とんでもないメール」とは言いません。特に前者は歓迎されることが多いでしょう。

私の間違っているとことか、情報が不足しているとことかを指摘してくれるのはありがたいことです。反論があっても、それはそれで(納得出来るかどうかは別にして)良いことです。

ただ、私の主張をぜーんぜん理解せずに、とんちんかんに興奮したメールが来ても、「俺、そんなこと言ってないし」としか言いようがありません。高いテンションで反論(になっていないけど)するメールのほとんどは、そもそもの前提として、私の主張を歪んで解釈していますね。で、さらに言うなら、右系の主張をするメールにそのパターンが多いです。その理由は謎ですが(いや、私なりの仮説はあるけど、あまりにあまりなので、ここじゃ書けない)。

そういうぶっとんだメールも対処に困りますが・・・、嘘です、困りません。黙殺するだけです。それはさておき、最もとんでもないと思うのは、筆者と登場人物を取り違えたメールです。

筆者というのは私のことになりますね。登場人物というのは、ある記事の中に登場した、私以外の人物のことです。私宛のメールなのですが、内容を読むと、その記事に登場した人物に宛てて書いてあるんですよ。私を経由して、その人に伝えてくれ、というのではなく、明らかに取り違えてます。

例えば、「○○ちゃんはカレシに自分の裸の写真を送ったことがある」という話を書いたとすると、「僕にも裸の写真を送って下さい。お願いします」というメールになるわけです。こういうメールが一年に何通か届きます。どこをどう読むと、筆者と登場人物を取り違えるのか、不思議でたまりません。因みに、取り違えるのは、男女交際とかエロに関係した話だけです。

まあ、取り違えてなくても、メールでいきなり「僕にも裸の写真を送って下さい。お願いします」てのは、相当にヘンな奴ではありますが、私としては、彼の頭の中で、取り違えがどのように発生したのかに、より興味を感じます。

いや、そのメールはもちろん黙殺ですけど。お願いされてもねぇ・・・・