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スポーツ

2012年8月 3日 (金)

マイナー競技を盛り上げるチャンスなのに…

ロンドンオリンピック、バドミントン女子ダブルスの準決勝を見ていて思ったのですが、とにかく解説が下手でした。全く面白くないし、解説としての体をなしてなかったです。

「ポイントを積み上げていって欲しいです」「攻める気持ちで」「ここで1点取ると楽になる」「(スマッシュが決まって)いいですね!」みたいな、誰にでもわかる当たり前の事しか言わない。当たり前のことを言うのは悪くないですが、当たり前の事しか言わないなら、解説の意味はないです。

何のスポーツでもそうですが、視聴者としては解説者から、自分では分からない技術的な見所とか、戦術面の機微などを解説して貰いたいわけで、精神論とか応援とかを聞きたいわけじゃございません。

そう考えると、スポーツ解説はなかなか専門性が高い仕事です。一流のプレイヤーだとしても、一流の解説者になれるとは限りません。技術的戦術的な知識と、プレイを見てそれを評価する事、そしてさらに視聴者に分かりやすく伝える話術が必要になりますからね。

色々なスポーツを見渡しても、それらを兼ね備えた解説者は少ないですね。応援団長型解説者とか精神論解説者はたくさんいます。技術的戦術的なことを喋っても、引き出しが少なくていつも同じようなことしか言わない解説者もいます。

私はサッカーが好きで、サッカーのテレビ中継は良く見ますが、解説者への満足度はかなり低いです。

で、話をオリンピックのバドミントン中継に戻しますが、残念なことに、バドミントンの解説は際立ってつまらなかったのでした。

バドミントンの様に、決してメジャーとは言えないスポーツの場合、オリンピックで全国中継があるのは、大きなチャンスのはずです。

バドミントンの面白さを知ってもらい、競技人口が増えること、競技会の観客が増えること、スポンサーが付くこと。こういった事に繋げる、またとない機会なのに、あのつまらない解説では、せっかくのNHK全国放送の意義が半減です。

ダブルスの前後が入れ替わる意味とかタイミングとか、サービス権があるときとないときの攻め方守り方の違いとか、選手は3手位先まで読んでどこにどう打つかを決めていると思うのですが、その中身とか、試合を見ていて知りたいことは山のようにあったのに、解説者は何も教えてくれませんでした。

上記のような、視聴者の興味や疑問を想定し、それに答える解説をすることが、バドミントンを盛り上げることに大きく貢献すると思うのですが、そういう認識に基づいて、解説すべきポイントを考えた形跡はありません。日本バドミントン協会は何をしているのやら。

陣内貴美子さんあたりなら、テレビでしゃべる事にも慣れているので、もっと面白い解説をしてくれそうなのですが、NHKで解説が出来るかどうか(契約的な意味で)はわかりません。

仮に藤井・垣岩ペアが決勝進出まで行かずとも、オリンピックの試合中継は、バドミントンに対する国民の興味を大きく盛り上げるチャンスなのに、本当にもったいない話です。

2012年7月27日 (金)

スペインを撃破

はい、スペインを撃破です。

良い勝ち方だと思います。ただ単に引いて守るのではなく、前線からのチェイスによる攻撃的な守備をベースとした戦術は、日本が世界の強豪と互角に闘うためのスタンダードになるのではないかと思います。U23だけではなく、フル代表においても。

このチームは、スペインを相手に互角以上の戦いが出来たことで、この戦術をモノにしたと言っても過言ではないでしょう。予選リーグのみならず、決勝トーナメントに進めたとするなら、そこで当たるであろう強豪チームにも、この戦術でチャレンジすることになるでしょう。

実際、前の4人はよく走ったし、ディフェンシブハーフの二人もよく動いたし、最終ラインは安定していて、危険なシーンはほとんど皆無。名実ともに完封です。オーバーエイジの吉田と徳永の安定感、信頼感はちょっと感動ものでした。

「たまたまラッキーで勝てた」という試合内容ではなく、戦術がピタリとはまって勝った試合でした。

ただし、決定的なチャンスで決められないシーンが何回かあったことについては、きちんとした分析と対策が必要だと思います。相手キーパーが良かったのは事実ですが、そういうS.G.G.K(スーパーグレートゴールキーパー)と1対1になった時の対処について、練習が充分だったのかどうか、ちょっと疑問です。

いずれにせよ、この1勝は予選リーグ突破に向けての大きな前進であることは間違いありません。あと2試合も勝利してパーフェクトで決勝トーナメントに進むことを期待します。

2008年8月15日 (金)

オリンピックのテーマソング

テレビ各局のオリンピック中継、それぞれがテーマソングを勝手に仕立てているわけです。で、言っても無駄ではありますが、文句を少々。

まずは、楽曲をぶつ切りにして、いつでもサビばかりを繰り返し聞かせるような番組作りにするな、と思います。不愉快です。そもそも、音楽を使いすぎ。のべつまくなしに、BGMが大音量で流れている番組は、化学調味料をバカバカいれた料理みたいです。作っている側は(日本人全体??)、BGMに対する感覚が麻痺してるんじゃなかろうか? NHKを評価できる点はあまり多くないのですが、BGM の少なさや控えめさ(民放に比較してですが)は、評価してあげても良いと思います。

それから、色々と大人の事情はあると思いますが、テーマソングを選ぶ時には、まともに歌える歌手の曲にしてくれ、と。繰り返し繰り返し聞かされるのだから、ドヘタなのは拷問に近いわけですよ。もちろん、まともなのもありますが、ドヘタなのもあるのは皆さんご存じのとおり。

音程とかリズムとかは色々と補正しようもあるんでしょうが(補正しきれてないとこもあるけど)、根本的に発声がなってなくて、どなるように歌っているのは、その歌手のファンなら耐えられるかもしれませんが、私にとっては不快指数向上効果しかありませんです。

開会式での口パク演出はあまり誉められたことではないと思ってますが、ジャニーズ事務所はそれに学んでも良いかもしれませんね。いや、本筋としては、売りたいタレントは、とりあえずまともに歌えるようにしろ、ってことですかね。

2008年8月12日 (火)

柔道内柴選手の一本勝ちを考える

北京五輪柔道男子66キロ級で、内柴正人選手が優勝したのを見た時の私は、まさに「溜飲を下げた」という表現が相応しいでしょう。サッカーが負けてふてくされてましたからね。

それはともかく、決勝戦で内柴選手が縦四方固めに入ってすぐに、相手のダルベレ選手がタップ(まいった)をして、それで一本勝ちとなったわけですが、ダルベレ選手は何故タップをしたのか、皆さん、わかりましたか?

私の見聞きした報道の範囲では、そこを明確にしていたものはありませんでした。何故タップをしたかによらず、勝利の価値が変わるものではありませんが、私としては、どこがどう極まっていたのか(あるいは他の理由なのか)が気になります。

以下、格闘技経験のない、でも格闘技耳年増目年増である私の推測です。

フィニッシュの前に両者がもつれて倒れ込んだ時、内柴選手は左脇にダルベレ選手の頭を抱え込んだままで仰向けに倒れるような形になったため、ダルベレ選手は脳天部分を畳に強打したと思われます。プロレス技で言うならDDTですね。

その脳天強打がタップの直接の原因であるかのように推測していた人(解説者?)がいましたが、私としてはちょっと違うのではないかと思います。なぜなら、頭を強打した後、内柴選手が押さえ込みの体勢に入り、その後すぐにダルベレ選手は足を絡ませて押さえ込みから脱し、さらに内柴選手がその足をほどいて、再度押さえ込み(縦四方固め)に入った、という攻防があったからです。

つまり、脳天強打からタップまでにあれこれの攻防があったので、脳天強打がタップの直接の原因ではない、ということです。ただ、試合終了後、ダルベレ選手がしばらく立ち上がれなかったのは、脳天強打の影響ではないかと思われます。

では、ダルベレ選手は何故タップしたのか?

完全な個人的推測かつ希望的観測なのですが、ダルベレ選手の左肘が極まっていたのではないでしょうか?

縦四方固めの体勢になった時、ダルベレ選手の左腕はバンザイ状態で伸びきっていて、それを内柴選手が右腕で抱え込むようにして、体重を乗せて押さえ込んでいました。画面では見えてませんでしたが、内柴選手の右前腕部は、ちょうどダルベレ選手の左肘の裏あたりにあったのではないかと思われます。そして、内柴選手の右肩でダルベレ選手の左手首を畳み方向に押している格好になっています。

それで肘が極まるわけです。伸びきった肘の裏に支点となる腕を置き、作用点となる手首を肩で押すと、肘関節が逆方向に曲げられる形になります。いわゆる、極まった状態ですね。ダルベレ選手がタップしたのは、このように肘が極まったから、というのが個人的推測です。とどうじに、そういう極まり方だったら、とても嬉しいですね。

柔道で肘を伸ばすように極める技といえば、腕ひしぎ十字固めです。通常、腕ひしぎは自分も相手も仰向けの体勢になりますが、それを自分だけうつ伏せになって、さらに体勢を上四方固め風にしてかけた、とみなせないこともありません。リバースの腕ひしぎ十字固め。

プロレスの世界の一部では、「腕ひしぎ十字固め」を「腕ひしぎ逆十字固め」と呼んだりもします。古館アナウンサーがアントニオ猪木だかウイレム・ルスカだかの「腕ひしぎ十字固め」を見て、「腕ひしぎ逆十字固め」と実況してしまったのが原因です。もちろん、厳密に言うなら「腕ひしぎ逆十字固め」は間違いです。

内柴選手がダルベレ選手からタップを奪った技こそ、「腕ひしぎ逆十字固め」と呼んでも良いのではないかと。「十字」の部分には無理がありますが、そこは大目に見て頂いて。

以上は素人の推測なので、間違っているかもしれませんが、そのように肘が極まっていた、と考えた方が楽しいので、素人談義はご容赦を。

2007年9月27日 (木)

相撲協会審議委員会

後出しジャンケンみたいなことを言ってしまいますが、3 日程前、ここに「横綱審議委員会ってのがあるけど、本当に必要なのは相撲協会審議委員会じゃないのか?」という趣旨のことを書こうとしていたんですよ。

朝青龍問題などでの北の湖理事長や高砂親方の対応があまりにもコドモというか、社会人として常識はずれのことが多かったので、外部の有識者が物言いを付けるべきなのは、横綱よりもむしろ相撲協会だろう、と思ったわけです。

でもって、新弟子死亡事件を暴行、傷害致死事件として立件へ、という報道がなされた後の北の湖理事長のコメントですが(時事通信による)、「(斉藤さんは相撲界へ)入って2カ月。体力的なことも考えていかなくてはいけない」だそうで。

この恐るべき呑気さはどこから来るんでしょうか? 激しい稽古で事故死したということなら、上のコメントでもまあよしとしましょう(あまり良くはないけど)。でも、暴行とか傷害致死とかいう刑事事件になろうとしている時のコメントとしては、ほとんどありえないわけですよ。

スポーツ界では、「名選手は名コーチとは限らない」というのは定説ですが、相撲界では力士としてある程度成功した人だけが、コーチ(親方)になっていますし、それだけじゃなく、相撲協会の経営者(理事)も力士出身者だけです。

名力士がすなわち名経営者のはずがありません。むしろ、名力士であればあるほど、少なくとも現役を引退するまでは、経営の諸々を勉強する機会からは遠ざかっていた、と見る方が自然というものです。

というか、北の湖理事長の場合、経営者云々以前の社会人としての常識レベルで問題大ありですけどね。

巡業をさぼってサッカーするのはもちろん良くありませんが、暴行とか傷害致死とかは、それとは比較にならない程の大きな問題です。その問題の大きさをぼーっとしか理解していないような相撲協会に物言うための、相撲協会審議委員会が必要なんじゃないかと思うわけです。

横綱の品格がどうこうと朝青龍を批判した相撲協会審議委員会の方々は、その100倍位のトーンで、今回の問題を批判してもらいたいものです。きっと、マスコミ各社がコメントを求めに行くでしょうから、発言する機会はいくらでもあるでしょう。

2007年7月30日 (月)

カール・ゴッチ氏死去

自民党歴史的惨敗というのは、大きなニュースには違いないのですが、選挙前から予想されたことでもあり、驚きや意外性や衝撃は全然ありません。ちっとも争点が見えてこない選挙だったのに、これだけ極端な結果になるというのも、恐ろしいことですね。民意が反映された、と言えば聞こえはいいですが、なんかちょっと違う気もします。

それはともかく、個人的には、参院選の結果よりも、カール・ゴッチ氏死去のニュースの方が衝撃的でした。

唐突ですが私は、サッカー日本代表監督のオシムさんとゴッチさんにはどこかしら似たものを感じています。物事を評価してそれを表現するセンスが、オシムさんとゴッチさんで似ているんですよね。オシムさんの言葉を聞いていると、もしゴッチさんがサッカーの専門家なら、同じようなことを同じような表現で言うのではないか、と思います。

オシムさんの本があれだけ沢山出ているのに、ゴッチさんの本は、伝記も語録も技術的な解説本も、ほとんど何も出版されていないのが残念極まりないです。

ゴッチさんの晩年の生活がどうだったのか、詳しくは知らないのですが、身体が動く限りトレーニングは続けていたでしょう。ゴッチさんを最も高く評価している国は日本ですから、日本のプロレス界全体の特別顧問みたいな形で、日本にお住まいを確保して、悠々自適の生活を送っていただければ、などと思っていたこともあったのですが、それがゴッチさんにとって幸せだったかどうかは分かりません。

「ゴッチ式ベタ足ジャーマン」と言っても、ほとんどの方は何のことか分からないでしょうね。相手のバックを取って胴に手を回し、そのまま後方に投げてブリッジで支えつつフォールをする技を、俗にジャーマン・スープレックス・ホールドと呼び、ゴッチさんの代名詞のような技です。

ゴッチさんのジャーマン・スープレックス・ホールドの特徴は、ブリッジの時に両足の踵を浮かせないことです。おそらく、それによって投げ技としての威力が増すのと、ブリッジの安定性が高まるのではないかと思います(素人の見解ですので、間違っている可能性ありです)。これが「ゴッチ式ベタ足ジャーマン」です。

ところが、この「ゴッチ式ベタ足ジャーマン」の使い手があまりいないんですよね。一時的に使った人はいるんですが(若い頃の前田日明とか藤波辰巳とか)、そのうち、踵が浮くスタイルに変わってしまいます。ずっとベタ足スタイルを通した人は、誰かいたのか、すぐには思い浮かびません。

ゴッチさんと言えば、数々の関節技を多くの日本人レスラーに伝授したことで知られていますが、私の中での、ゴッチさんのビジュアルは「ゴッチ式ベタ足ジャーマン」です。で、私にとっての「ゴッチ式ベタ足ジャーマン」は芸術に近い位置付けです。あるいはゴッチ流のレスリング美学を象徴するものでもあります。

もしこの先、ゴッチさんの本が出版されるなら、表紙には「ゴッチ式ベタ足ジャーマン」の写真を使って頂きたいものです。

ご冥福をお祈りします。

2007年6月 5日 (火)

ハニカミ王子

最初に「ハニカミ王子」と名付けた人には敬意を表しますが、これだけ乱発されるとうんざりするのは世の常、人の常。とはいえ、石川遼選手には罪はありませんけどね。

新聞報道によると、

父親からは「有名人になってしまったんだから(慎むことを)自覚しなさい。調子に乗るな」とたしなめられたという。(毎日新聞)

だそうです。このお父さん、先日優勝したときのインタビューで、年上のキャディを「塘田くん」と君付けで呼んだことに対しては、何か言ったんでしょうか? まあ、野球やサッカーなどのプロスポーツでは、インタビューなどでチーム外の人に対しても、身内のチームメイトをさん付けで呼ぶのが普通なんで、それに比べれば、身内のような立場の人に対する君付けですから、随分とマトモかもしれません。

で、石川父の「調子に乗るな」とのお言葉。それに異を唱えるつもりは毛頭ありませんが、自分ならどんなことを言うだろうか、などと考えてみました。そんなことはあり得ませんが、考えるのは勝手というものです。

私が石川選手の父親の立場なら、「調子にのるな」ではなく、逆のことを言いそうな気がします。どうせ色んな人が、「天狗になるな」とか「過信は禁物」とか「努力を怠るな」とか、そういう方面のことは言うはずです。日本人は「勝って兜の緒を締めよ」系が好きですからね。もちろん、そういうアドバイスが悪いわけじゃありませんけど、みんながそういう方面のことだけを言うってのも面白くありません。

「勝って兜の緒を締めよ」は一面の真実でしょうが、勝った時こそさらなるジャンプのチャンス、とも言えます。どちらが正しいということではなく、どちらにも理があることでしょう。

私が石川選手の父親なら、「この調子で行け」「自信を持て」「お前は世界一になれる」などといった方面のことを言うように思います。もしその結果、天狗とか過信とかいう状態になっり、手ひどいしっぺ返しを食らったとしたら、それをしっかり受け止めろ、と。

自信満々の発言をしながら試合で結果が残せない、といったパターンを日本人は極端に嫌いますが、そうそう嫌う必要もないと思いますし、後ろ指をさすようなことでもないと思います。自信があるなら自信満々発言をしても良いでしょう。でも、それと結果は別。負けたからといって、練習の様子を見ていたわけでもないのに、鬼の首を取ったように、「ほーれ見ろ、あんなふうに過信しているからだ」なんてことを言うのは、その人の人間としての底の浅さが露呈しているだけなんですけどね。

「若くして日本一」という偉業の後、もし、近くにいる人々のコメントが、そろいもそろって謙虚謙譲方面あるいは「勝って兜の緒を締めよ」系に偏ったとしたら、私としてはどうにもキモチワルイわけですよ。謙虚が悪い訳じゃなくて、偏り度合いがキモチワルイのです。

2007年3月27日 (火)

相撲の横綱、将棋の名人

例えばですよ、将棋名人の対局中の指し手について、プロ棋士でも何でもない素人が、「あの待ち駒は、名人らしくない卑怯な戦法だ」などとケチをつけたとしましょう。(「待ち駒」というのは、相手方の王の逃げ道で待ち伏せるようにする指し方です。小説「坊ちゃん」では「卑怯」とされています)

もちろん、そういうケチをつけるのは勝手ですし、そのケチに賛同する人もいるでしょうが、ほとんどの人からは、それは「単にケチをつけただけ」としかみなされないでしょうね。

では、一流のプロ棋士が「あの待ち駒は、名人らしくない卑怯な戦法だ」と言ったとしたら、なんていう仮定はあまり意味はありません。プロ将棋の世界には(もちろんアマチュアでも同様ですが)、待ち駒だろうと何だろうと、ルールの範囲内のことなら、卑怯とか名人らしくないとかいう概念はありませんから、そういう発言などするわけがありません。

ルールの範囲内で、いかに有効な手を指して、その積み重ねとして勝つか、それが求められることであって、そこに「名人らしくない」などというあいまいな概念など入りこめません。

将棋と相撲を一緒にするな、と言われるかもしれませんが、横綱のけたぐりや立ち会いの変化について、「横綱にふさわしくない」などと言っているのは、将棋の名人の指し手に、それも負けの原因となった手ではなく、勝ちを決定付けた手について、「あれは名人らしくない」などと批判しているのと同じようなことだと思います。

私にとっては、将棋の名人の手を批判するなど、レベルが違い過ぎますし、恐れ多くて出来ません。横綱の相撲についても同様です。負けた結果とか、負けの原因となったことならまだしも、勝った相撲の決まり手についてならなおさらです。

勝った相撲でも、「結果的には勝てたが、あの技は、かわされて負けに繋がる可能性が高いので、あまり使うべきではない」というなら、それはそれでわかりますが、「横綱にふさわしくない」ってのは、そういうことを言っているわけではなさそうです。

プロレスなら、試合開始10秒でダブルリスト・アームロックでギブアップを取った試合について、いくらでも「チャンピオンにふさわしくない」と批判してもいいですよ。プロレスってのはそういうものですから。

横綱でも平幕でも、けたぐりだろうと張り手だろうとはたき込みだろうと、勝つための最前の手段を尽くすことが価値のあることだと思うんですけど、私の考えは間違ってますかねぇ。

横綱なんちゃら委員会のしろーと衆が文句言っているのを見ると、「その調子で、将棋の名人にも文句言ってみろ」と思うのであります。