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学問・資格

2012年8月14日 (火)

自然放射線と人工放射線

原発事故以来、様々なトンデモ学説が飛び交っていますが、そんな中でもあまりトンデモには見えにくい説として、

自然に存在する放射性物質からの自然放射線に対しては、生物はそれに適応しているので害は小さい。一方、人類が原子炉の中で作り出した放射性物質からの人工放射線に対しては、生物はこれまでそれに適応して来なかったので害が大きい。

といった、いわゆる「人工放射線有害論」があります。

これ、一見もっともらしく聞こえますが、放射線とは何か、という基礎的な知識があれば、即座に否定可能な説です。一部の大学教授も「人工放射線有害論」を唱えていたりしますが、大学教授だろうと医学博士だろうと、間違いは間違いです。

放射線「何から発せられたか」という属性は持っていないのです。自然に存在する放射性物質だろうと、原子炉で作られた放射性物質だろうと、そこから出た放射線は放射線であって、発生元とは関係なく、放射線そのものの属性によって、「放射線の」生物への影響が決まります。

原発事故の放射性物質漏れに関連して問題になる放射線はα線、β線、γ線の三種類。放射線の属性としては、その3つのどれなのかという点と、もうひとつ、放射線の持つエネルギー(通常はeVにKとかMとかを付けた単位で表します)、これが「放射線の」生物への影響を測る指標です(もちろん、放射線量も関係します)。

自然か人工かは問題ではなく、放射線の種類とエネルギーが重要です。

放射線が何から出るのかが問題になるのは、いわゆる内部被曝の場合ですが、それは自然放射線とか人工放射線とかの話ではなく、放射性物質の化学的性質によるものです。ヨウ素は甲状腺にたまりやすいとか、セシウムとストロンチウムでは前者の方が排出されやすいとか、生物化学的な話です。もちろん、自然とか人工とかとは関係ない話です。これは「放射性物質が」生物にどう影響するかという話です。

放射線の種類(α、β、γ)やエネルギー、放射性物質の生物化学的な性質で、我々の健康への影響が異なるのは当然ですし、そういう議論は既に成されているわけですが、自然放射線と人工放射線という対比は全く意味を持ちません。

食品中に含まれるカリウム40は自然に存在していて自然放射線を出すから安全、セシウム137は原子炉で作られたので人工放射線を出すから危険。なんていう主張を目にすることがありますが、それはもちろん根拠がありません。そのような主張をしている言説は間違いです。

もちろん、カリウム40と
セシウム137の出す放射線の種類とエネルギーを考察するなり、内部被曝の場合はカリウムとセシウムの(数字は関係ない)体内での挙動の違いを考察するのは間違っていませんが、それは既に行われていて、ベクレル(放射性物質の量)からシーベルト(人間の健康への影響度)への変換係数に反映されています。

とにかく、「
自然放射線」とか「人工放射線」とか言う主張は、それだけで間違っていると断じて問題ありません。どんな博士や大学教授が主張していようとも、です。

2008年10月 9日 (木)

「対称性の自発的破れ」あるいは「自発的対称性の破れ」

今年の流行語大賞科学部門(そんなのあるのか?)に選ばれることが確実と思われる、「対称性の自発的破れ」です。丸いテーブルに座っていて、誰かが右手にあるコップ(でもナプキンでもなんでもいいけど)を取ったら、全員が右手のものを取らざるを得ない。なーーんていうシュレディンガーの猫の話よりもレアな話が多くの皆さんの耳に入るようになったのは、南部先生のおかげです。

素朴な疑問なんですが、いつから「対称性の自発的破れ」になったんでしょ?

むかーしむかーしに読んだ記憶のある南部先生の本では「対称性の自発的破れ」ではなく「自発的対称性の破れ」と表記していたと思うんだけどなあ。ググってみても、「自発的対称性の破れ」の方が多いし。

まあ、どっちでもいいんですけどね。「対称性の自発的破れ」でも「自発的対称性の破れ」でも、訳語としてどちらが採用されるかは、本来対称性を持っていたりするわけです。

もし、今回のノーベル賞報道がきっかけて、世の中のほとんど(といっても日本だけだが)が「対称性の自発的破れ」になってしまうとしたら、それこそが「対称性の自発的破れ」あるいは「自発的対称性の破れ」でしょう。いや、ちょっと違うか。いや、かなり違うか。

ところで、現在講談社はブルーバックスの「クォーク―素粒子物理はどこまで進んできたか」を大量増刷していると思われます。今は第二版ですね。初版が出た時にワクワクしながら読んだ記憶があります。

おそらく、来週あたりから、本屋さんに平積みされるのではないでしょうか。

2007年2月15日 (木)

ベルリッツ

電車の中に英会話のベルリッツ の広告が出ているのですが、そこに曰く、ベルリッツへの入学のキッカケのほとんどが口コミだそうで。先のリンク先にも、「70%の人が友人や同僚に勧められたから」なんてことが書いてあります(他のコピーとランダムに出現の模様)。

要するに、ベルリッツ経験者からの推薦があるってことは、それだけ中身が優れているんだよ、ということでしょう。まあ、その理屈は分かります。それを誇りたいのもごもっともですし、誇っても良いと思います。

でも、私は天の邪鬼なので、どうしてもツッコミを入れたくなるんですよ。

つまり、電車の広告でそういうこと書いたら、自己矛盾しちゃうんでないですか、ってことです。

広告の目的は、生徒獲得ですよね。で、その広告を見て「ベルリッツに行こう」と思う人がいて、そしてその人達がベルリッツに入学したら、口コミでの入学率が下がるじゃないですか。広告効果が高ければ高いほど、口コミ率は下がりますよ。そこんとこ、どう思っているんでしょ?

口コミ率が高いことを誇りに思っていて、それに満足しているのなら、わざわざ広告を打って口コミ率を下げる必要なんであるんでしょうか?

なーんて意地悪を言いましたが、要するに広告のコピーがいけないと思うんですよ。自己矛盾してますからね。ベルリッツさんだって、競合の英会話スクール各校と戦って行かなければなりませんから、広告だって必要でしょう。それはわかりますが、広告することと口コミ率云々というコピーとの相性が悪いわけですよ。生徒の定着率とか、満足度とかの数字でコピーを作ればよいのでしょうけどね。

まさか、こういうツッコミが入ることを想定して、ツッコミを入れられてもそれで注目されたらOK、という作戦、なんてことはないですよね・・・・?

だいたい、こういう細かくて天の邪鬼なことを考えるのは、私くらいのもの、とまでは言いませんが、そうそう多数ではないと思いますが、どうなんでしょ?

全然関係ありませんが、昨日のバレンタインデーの結果を知りたい方は、左のリンクから食日記に飛んで下さい。なさけない話です。