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日記・コラム・つぶやき

2012年10月 5日 (金)

プレスリリース

先日、某企業のWebページを見ていたのですが、ふとプレスリリースのコーナーを覗いてみると、とあるリリースが目に留まりました。

 

プレスリリースの日を「xx月xx日」としましょう。そのxx月xx日に、その企業は新製品AAAAを発売開始し、それに伴いプレスリリースを出した、ということです。

 

プレスリリースの本文を読むと、当然、新製品AAAAについての説明があるのですが、その他に「AAAAは本日より東京ビッグサイトで開催される◯◯◯◯EXPOの弊社ブースにて展示しております」と書いてあります。

 

ここで私の頭の中には「?」がいっぱい。

 

新製品AAAAを発売開始して、プレスリリースを出して、◯◯◯◯EXPOで展示。

 

こう書くと何も変には思えないかもしれませんが、これ、頭使ってないプレスリリースの典型ですね。

 

だって、「◯◯◯◯EXPOに新製品AAAAを見に来て下さい」って言うのなら、◯◯◯◯EXPOの開催当日にプレスリリースでお知らせするのは遅いでしょ。当然、開催日の一週間とか二週間とか前に発表するのが効果的ですよね。

 

◯◯◯◯EXPOと新製品AAAAの発表のタイミングを合わせ、多くのお客さんに見てもらおう、という考えだったはずなのに、肝心のお知らせのタイミングが悪いわけです。

 

常識的には「新製品の販売開始日とプレスリリースの日は同日」でしょうし、実際にそういうパターンが多いでしょうが、そうしなければならない法律があるわけじゃありません。販売開始日の前にプレスリリースを出したって、きちんとした意図があるなら何も問題ありません。

 

新製品AAAAは◯◯◯◯EXPOに出展してアピールする→販売開始日は◯◯◯◯EXPO開催日に合わせる→(常識的に)プレスリリースは販売開始日と同日 と繋がってしまい、それを誰も疑問に思わなかった、というところでしょう。

 

こういうのって、当たり前の人にとっては当たり前で、上記のような事は絶対にしないのですが、形式的に広報をやっているとなかなか気が付かないのかもしれません。

 

念のために申し添えますが、私は広報の経験はありませんよ。

2012年7月23日 (月)

やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識

大学教授がわかりやすく解説する「放射能の基礎知識」 

↑こんな記事が出ていました。

記事中にあるように、学習院大学の田崎先生は去年の原発事故以来、放射線に関する情報を学びながら集め、とうとう一冊の本になりました。

その本は、以下から無償でダウンロード可能です。

やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識

大作ですし、大変よくまとまっていると思います。記事中には「中学生でもわかるように」とありますが、全部を理解するのは中学生には厳しいかもしれません。平均的な高校生でも厳しいかも。

ただ、「難しくてわけがわからない」というわけではなく、「所々わからない」だと思いますので、怖がることなく読んでみてはいかがでしょう。わからないことがあったら、周囲のわかりそうな人に質問してみても良いでしょう。その時に、このテキストがあれば、「ここはどういう意味?」と質問出来るので、教える方も楽ではなかろうかと思います。

じゃあ、誰が「わかりそうな人」かというと、専門の学者さんとか放射線取扱主任者の資格を持っている人とかはもちろん、大学で物理や化学を専攻した人にとってはおそらく問題ないでしょう。その他の理工系でもほぼ大丈夫かな。そういう人に質問すれば、きっとわかる範囲で教えてくれるでしょう。

こういう基礎知識を身につける意味ですが、私個人の考えとしては、科学的に不正確な情報を見分けて、それをシャットアウトする、という効果が現状では一番大きいと思っています。

放射線の健康への影響の判断にも役には立つでしょうが、危険だの安全だのと考える前に、明らかに間違っている情報は見分けましょう、ということです。

原発事故以前、私は原子炉や原子力発電については全くの素人でしたし、放射線の健康への影響に関しても全く知りませんでした。ただ、放射線や放射性物質に関する物理的な知識はありました。

その知識がどれほど役立ったか。極めて悲観的な情報も含まれる、様々な情報の洪水の中で、物理の知識だけで正誤が判別できる情報は、少なくなかったのです。そして、物理的に間違った情報が判別出来ると、それを拠り所にしている言説も否定出来ます。

原発の再稼働とか瓦礫処理の問題とかについて判断する前に、このテキストに書いてある事の半分位は身につけていて欲しいもの。

放射線はひとつ間違うと甚大な被害をもたらすものですが、日本古来の「穢れ」として扱うべきではありません。無意識に「放射能は穢れ」と認識している人は少なくないと思うのですが、放射線は放射線として科学的に正しく理解すべきです。

その知識を下敷きにして色々なことを考えることが、最も良い問題解決に繋がるはずだと思っています。

2012年7月19日 (木)

避暑地

毎年この時期になると、涼しい避暑地ですごしたいと思うわけで。北海道とか志賀高原とか。一週間位なら田舎もいいですが、それ以上だと、やはり都会が好きなので札幌とか。まあ、現実にはなかなか難しいわけですが。

避暑地って何かエロい響きがありますよね? と同意を求めてしまいましたが、こういう感覚は自分だけかもしれません。

何故「避暑地」にエロさを感じるのかというと、自分でもよくわからないのですが、おそらく以下のようなことだと思われます。

「避暑地」という単語には、何となく日活ロマンポルノの香りを感じます。ロマンポルノに「避暑地」を含むタイトルの作品があったのかと思ってググってみましたが、避暑地を舞台にした作品はあっても、タイトルに「避暑地」を含むものは見つかりませんでした。

ただ、高田美和さん主演の「軽井沢夫人」という作品はあったので、それから「避暑地」とロマンポルノを結びつけたのかもしれません。

また「避暑」→「秘書」→「秘所」というしょうもない連想もあって、「ひしょ」という響きがエロく感じているのでしょう。「びしょびしょ」という単語も影響しているかもしれません。

こんなしょうもない理由で「避暑地」にエロい響きを感じるなんて、我ながら「高校生かよ!」とツッコミを入れたくもなりますが、まあそんなものです。ええ。

2012年7月16日 (月)

「もう無料でSEXは当たり前!」というスパム

「もう無料でSEXは当たり前!」というスパムメールが届きました。

スパムの内容を真面目に論評するのもアホっぽいのですが、「もう無料でSEXは当たり前!」というフレーズには何かモノを言いたくなる風情があります。

「もう無料でSEXは当たり前!」とはどういう意味なのか、どうしてそのキャッチフレーズが出てきたのか、健全なる読者諸氏はわからないかもしれませんので、不健全なる筆者が説明致しましょう。

そもそも、男は常に「セックスしたい」などと考えています。その彼に彼女なり妻なり、愛人なりセフレなりがいれば、その欲望は満たされます。

不幸にして、彼にそういうお相手がいない場合、いわゆる風俗で遊ぶ事によって、その欲望が満たされることになりますが、通常はその対価を支払うことになります。

風俗に行かずとも、ナンパなどで素早くお相手を探せるのであれば、それもひとつのソリューションですが、そんなことが出来るのなら、セフレの一人位はキープしていそうなもの。

ということで、ナンパという手段によらず、相手を探す方法が提案されました。それがいわゆる出会い系。良心的出会い系では、相手を見つけることが出来る「かも」しれません。でも、その出会いを取り持ってくれた対価を支払わなければなりません。

もしかしたら、出会い系で出会ったお相手にも対価を支払うことになるかもしれません。そなんだったら、最初からソープに行けよ、と思うのですが、まあ世の中そんなもの。

ここまでの話を一言でまとめると、「セックスの相手がいないなら、お金を払いなさい」ということです。

さて、ビジネスは日進月歩です。10年位前からでしょうか、「寂しい未亡人の相手をすると、セックス出来てお金がもらえます」的なビジネスが現れました。「本当にそんな未亡人がいるのか?」と誰しもが思いますが、きっと思わない奴もいるんでしょう。

このビジネスの画期的なところは、「セックスの相手がいないなら、お金を払いなさい」という従来の価値観を否定し、「無料でセックスできる」「セックスしたらお金がもらえる」という価値観を創造したことです。

ここで、このビジネスが詐欺ではないのか、という点は考慮しておりません。まあ、考慮する程のこともないわけですが。

ともかく、「彼女やセフレがいなくても、お金がなくとも、セックスは出来るのだよ」という価値観を持ち出したことに意義があるのです。「濃厚サービスで○○万円ポッキリ」とか「女優クラスの美女揃い」とかのコストパフォーマンスを強調したビジネスではなく、コストがゼロあるいはマイナス(つまり利益)となるビジネスを謳ったわけです。

という流れで、やっと「もう無料でSEXは当たり前!」に繋がるのです。

無料なのは当たり前。さらにその上に新しい価値を提供しようとしているのです。件のスパムメールによると、その新しい価値は「女の子の質」らしいです。「全員顔出し了承している女性ばかりだから安心して女性を選ぶことができます!」だそうです。

こんなビジネスがまともなはずはないのですが、それはそれとして、ビジネスにおいて新しい価値を創出しようとするシナリオについては、極めて真っ当に考えているのが分かります。そんじょそこらの古い体質の大企業よりもまともかもしれません。

AVや風俗も含めたアダルト産業(詐欺的ビジネスも含めちゃいますけど)というのは、なかなかに侮りがたい業界です。

例えば、世相を反映したタイトルと設定のAVをあっという間に作ってリリースする、なんていう柔軟さと決断と実行の速さは実に尊敬すべきもの。決断できない管理職はAV制作会社で修行しろ、くらいに思うわけです。

2012年7月 7日 (土)

絶対的な悪を設定すること

世の中、色々な価値観があっていいし、実際、色々な考え方をする人がいるわけですが、「絶対的な悪を設定すること」から始まる価値観は、あまり当人も周囲も幸せにしないと思うのですよ。

絶対的な悪を設定するということは、すなわち、自分の側を絶対的な善に位置付けるわけで、そんな考え方が鼻持ちならないのは容易に想像出来ること。「オレは絶対的に正しい」と思っていると、通常なら避けるような、一般的にネガティブな効果を生むであろう事であっても、それを迷いもなく主張し実行してしまいがち。

「絶対的に正しい」のですから、法律よりも上位に位置しますし、科学的事実よりも優先します。ましてや、他人の価値観などどうでもいい。

そして、絶対的な悪を設定し、自分を絶対的な善に位置づけていることは、あまり自覚されない。当然ですね、自分は正しいと思っているわけですから。

脱原発を目指すのは大いに結構だと思いますが、一部の急進的な活動をしている人々は、原発を絶対的な悪と認定するとこから始まっている気がします。

放射線とその健康への影響、原子力発電の技術や歴史に対する正しい知識をベースに、原発の功罪、原発事故の原因、事故被害の状況、中長期的なエネルギー政策、経済への影響などを考えて、現実的かつ総合的なリスクが最小限となる脱原発のシナリオを考えて欲しいものです。

そして、脱原発の主張と、放射線の健康被害を関連させないこと。今回の事故での放射線による健康被害が皆無だったとしても(実際、それに近いでしょう)、脱原発の主張は立派に成立するのですが、その二つを不可分に結びつけ、原発を絶対的な悪と位置付けると、「放射線の健康被害は深刻である」が自動的に導かれてしまいます。

WBCの測定結果、空間線量、給食検査、農産物の測定結果、そういったデータを見ても、それらの数字が深刻でないと、自動的に「政府の測定は信用出来ない」「ストロンチウムを測ってない」などという、周回遅れの言い訳でデータを受け入れません。

不思議なことに、同じ測定でも、深刻な数字だと自動的に受け入れます。

それもこれも、原発を絶対的な悪として設定したから。でも、そういう方に「その認識を改めろと」言っても、そう簡単に行かないことは想像出来ます。

時間はかかっても、測定値などを地道に公表し、マスメディアもそれをきちんと報道し、政府が信頼される原子力行政を行い、といったことを通してしか、その認識が変わる術はないかもしれません。

マスメディアも政府も、そういう面ではかなり頼りないと感じるのですが、マスメディアの報道には、徐々にマトモなものが増えてきている印象です。その点は期待しています。

2009年11月27日 (金)

つぶやき

ココログのカテゴリーに「日記・コラム・つぶやき」というのがありまして、私はここで書く記事のカテゴリーとして、その「日記・コラム・つぶやき」を選択することが最も多いです。

他のカテゴリーに最適なものが見つからないので、ということもありますが、あまり深く考えずに「日記・コラム・つぶやき」にしてしまうこともあります。私としては、ここは「ブログ」というよりも、ブログサービスを利用して書いている「コラム」だと思っているので、デフォルト的には「日記・コラム・つぶやき」というカテゴリーになるわけです。

決して、「日記」とか、ましてや「つぶやき」とか思っているわけではありません。

駄菓子菓子、最近は「つぶやき」に相当することを書いている方が多いかもしれません。もちろん、「つぶやき」はココログではなくTwitterで、です。

個人的にはTwitterの投稿を「つぶやき」と呼ぶのは、Twitterの面白さや意義が伝わりにくい面もあるので、イマイチ好きになれないのですが、でもまあ、世間一般には「つぶやき」と認識されてます。

今月のここの記事は、この記事を除いてまだ3本だけです。最近のここの更新頻度が落ちている理由の半分は、Twitterが影響しています。

以前だったら、ここに書くようなネタをTwitterで投稿していて、それを膨らませてここの記事にはしていない、ということですね。特に、街で見かけたちょっとした面白いネタなんかは、Twitter行きが決定的です。

2009年9月30日 (水)

スカウトも大変なお仕事

昨日の夕方、都内某所のエクセルシオールのカウンターでお茶していたのですが、しばらくすると、隣りにお兄さんが座りました。

黒いスーツ、長めの茶髪、ヴィトンのトート、ということで服装からして、ホストかスカウトかという感じですが、時間帯から考えるとスカウト氏ではないかと。

彼はカウンターの上に携帯電話を二台置きました。おそらく、仕事用とプライベート用ということでしょう。ほどなく、電話をかけ始めました。

「先ほど面接頂いた女の子、いかがだったでしょうか?」

なんていうセリフが聞こえて来るので、もう耳ダンボ状態。やはり、見た目の通りキャバクラのスカウトのようです。ちょっと前にスカウトした女性をお店に連れて行って、店長あたりに面接してもらったとこなんでしょう。

話を聞いていると(聞こえるんです)、店側はその女の子に少々懸念があるようです。その懸念ははっきりとはわかりませんが、どうやら「本当に入店する気はあるのか?」的なことのようです。

スカウト氏としては、女の子をお店に紹介して終わりではなく、女の子がきちんと勤務して初めて報酬になるのでしょうから、ここは頑張りどころです。「私の方から、女の子に確認して、改めて連絡致します」とか「早急にたいにゅう(体験入店のこと)の日程を決めて・・・」などなど。

で、その電話を切るなり、女の子に電話です。「あ、もしもし、アヤカちゃん? ○○です。今、お店の人と話したんだけどね・・・」とフォローを始めました。当然ですが、口調はお店に電話していた時とは全然違います。彼等は女子を説得するプロですから、色々と研究しているんでしょう。端で聞いていると、猫撫で系の口調に聞こえるんですが、きっとそれが有効なんでしょうね。

ともかく、店の懸念などおくびにも出さず、でもアヤカちゃんがきちんと入店する方向に話を持って行きます。お見事、って感じではないのですが、なかなか大変だろうなあと思いますね。「やっぱやめた」と土壇場で言われることなど、日常茶飯事ではないかと。

と、女の子をフォローした後、またお店に電話して、経過を報告しつつ、「本人、やる気になっていますので」的なアピールも忘れずに。

というようなことを、している間にも、別の店とか別の女の子から、電話が入ってきて、それぞれに対応してます。当たり前ですが、同時並行でいくつもの商談が進んでいる、ということですね。

それぞれの件の進捗とか、女の子の言ってたこととか、店からの依頼とか(「店のWebに顔出ししていいか確認してくれ」みたいな依頼があったようでした)、そういったことを正確に記憶していないと出来ない仕事です。

女の子を一人紹介して、いくらになるのかは知りませんが、一人紹介したら一ヶ月食えるという程ではないでしょうから、スカウトというのも大変な仕事だなあ、と思った次第です。

因みに、上に書いた様子はTwitterで実況していたのですが、誰からもリプライ(でいいのか?)が入らずに少々寂しかったのでした。

2009年9月23日 (水)

わからんでもないが

毎日毎日、山のようにとどくスパムメール。多くは出会い系とか逆援助交際とか。もちろん、どっちにも興味はございません。

そういうスパムメールは自動的に迷惑メールフォルダーに振り分けれられるのですが、たまにはフィルターをかいくぐって、私の目に留まるものもあります。とはいえ、内容を読んでいるわけじゃありませんけどね。

先日、たまたま中を読んだら、ちょっと頭を抱えてしまったことがありました。世の中、ニーズは色々で、多様化したニーズにどう対応するかというのは、どんなビジネスでも共通の課題ではないかと思うのですが、それにしても。

「50歳未亡人:遺産相続10億円。寂しい夜を慰めてくれる相手募集。上がっているので、生中出しOK」

だそうで(もうメールは捨てたので、細部は微妙に違っているかも)。

もちろん、こういう未亡人が実在しているわけではなく、宣伝文句としてこういうことが言われているわけです。

要するに、「生中出しOK」という価値があって、その価値の裏付けとして「上がっている」があって、その背景として「50歳未亡人」なわけです。一応、筋は通ってますわな。

スパムの宣伝文句だから、何でもありでしょうし、こういうのの狙いもわからんでもありませんが、それにしてもなあ。

何がどうとは説明しにくいのですが、何となくイヤですね、こういうのは。

2009年9月21日 (月)

ワガママ

わがままは 男の罪
それを許さないのは 女の罪

なんていう歌がありました(虹とスニーカーの頃 作詞/作曲 財津和夫)。この歌詞に文句を付けるつもりは毛頭ないのですが、どちらかと言うと、男と女ではワガママの質が違うのかなあ、と思います。

男のワガママは基本的に「○○したい」という、自分の意志や欲望によるものだと思うんですよ。○○のパターンは色々ありますが、自分のしたいことのために、周囲に悪い影響を及ぼすと、それがすなわちワガママということです。

一方、女性のワガママは、というより、女性がワガママだと私が思うパターンは、相手に対して「○○して欲しい」「○○して当然」「○○しないなんて考えられない」というように、相手を規定するようなことが多いと思います。

男は能動的ワガママ、女は受動的ワガママ、とも言えるかもしれません。

おそらく男は一般的に、女性の「○○したい」という希望については、寛容だと思います。例えば「クルマ買い替えたい」なんかは、経済的にどうにかなるのであれば、比較的簡単に「じゃ、買い替えようか」になるでしょう。男女の立場が逆なら、「こないだ車検とおしたばかりでしょ」で一刀両断です。

女性が、男からの「○○して欲しい」というワガママに寛容かどうかはわかりませんが、寛容なような気もします。

男も女も、自分のワガママパターンには寛容、ということなのかもしれません。

2009年9月11日 (金)

バス停のおばあちゃん

自転車であちこち出かけるようになって、1年以上が経ちますが、自転車で道路の左端を走るからこそ見えて来る世の中もあります。と言うほどに大げさな話ではないのですけどね。

道路の左端を走っていると、バス停でバスを待っている人の列とはかなりの距離まで近づくことになります。そのバス待ちの人の中におばあちゃんがいると、そして特にそのおばあちゃんが列の先頭だと、かなりの確率でそのおばあちゃんには共通点が見受けられるのです。

おばあちゃんは、バスがやって来る方向を向いて立っています。顔だけをそちらに向けるのではなく、体全体でバスを迎えるような角度で立っています。つまり、おばあちゃんの両足つま先を結ぶ線は、道路進行方法に対して垂直、ということです。

身体をこの角度に向けて待っている人は少ないので、列の中でおばあちゃんは浮いて見えます。一人で列の美しさ(なんてものがあれば)を乱していますが、本人は一向に気にしません。

おばあちゃんは、バスが来る方向を向いて立っているだけではなく、車道に身を乗り出して、バスが来ないか、じーーーっと見ています。道路の左端を走っている自転車からすると、ちょっと危ないので、そういうおばあちゃんの存在が印象に残るのです。歩道上で向きを変えるのはかまいませんが、車道に身を乗り出すのは、自重して頂いた方が良いと思います。

他の人は、道路に平行に立ってる人が多く、顔をバスが来る方向に向けることはあるにせよ、身体ごと向きを変えてじーーーっと見ているなんてことはありません。

この傾向はおばあちゃんにだけ見られるもので、おじいちゃんにも、おばちゃんにも見られません。おばちゃんとおばあちゃんの境界がどこなのか、という問題は微妙ではありますが、私の感覚としての「おばあちゃん」に見られる現象なのです。

もちろん、全てのおばあちゃんがこういうバス待ちをしているわけじゃありませんが、そこそこの割合で、こういうおばあちゃんを見かけますので、傾向と言っても良さそうな気がします。

バスが来る方向をじっと見ていないと、何かしら心配な気持ちなのかもしれませんが、その理由ははっきりとしません。

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